ある電話報告が社内で回っていた。

WordPressのユーザーを誤って削除してしまったとのことです。 折返しのご連絡をよろしくお願いいたします。

ディレクターより

さてはて、これをどう受け取ったらいいのか。

ユーザーを誤って削除したというのは、削除したユーザーを復活させたいということなのか、そのユーザーが書いた記事を削除してしまったということなのか、どういう意図でクライアントがその報告をしてきたのか。

いずれにしてもディレクターが主体性を持っていれば反射的に質問が出てきて、問題解決もできるだろうに。

もし問題が明確であれば、それを解決する手段を持ち合わせたうえで電話を掛けることができるのに、この言い回しでわざわざ電話を回すということは、弊社とクライアントどちらの時間も奪っている行為だということをわかっていないのか。

主体性を持つ範囲は他人への配慮と比例し、それが欠落した範囲での行動は病ともいうべき自己中心的で非効率的な行動を生じさせる。

そう考えると主体性を持つべき範囲は、常に身の回りまで拡大する必要があり、そうでなければ気がきかないという烙印を押されることになってしまう。

自分の見た目を気にする人は、そういった目に見えないものを理解しなければ、第三者の印象は自分が思い描く自分とは違っていることだろう。

それは見た目の印象は自分の身の回りのものや行動も含まれるというのも一緒で、俗に言う女性のイケメンという言葉には、ビジュアルの良さだけではなく内面についての評価を含むということと同義である。