ルール化は行動を強制し、組織間での予測可能性を向上させる。
一方、そのルールの目的が(当人にとって)不明瞭な場合、個人の帰属性は低下し、組織全体に悪影響を与えることがある。
ルールの提言者は目的を明確にしたうえで本当にその手段が妥当であるかを説明する必要があるが、トップダウンの場合、なかば強制的にルールが施行されることもある。
そうした場合、ルールに付き従うものは手段から自分なりの目的を導き出さなくてはならず、それに不満を抱かないようにするのであれば、提言者の人間性に自分本位の解釈を重ねるか、あるいは「死なばもろとも」の精神で同調行動の邪悪な安心感に身を委ねるしかない。
ルール化することによって個人の思考に影響を与えることを望むのであれば、トップダウンによる強制的なルール施行は適切ではなく、周囲の納得を得られる説明を行うことが肝要である。
その際には内在する Whataboutism の反論材料として、自分自身がそのルールの体現者として認識されなければ、おそらく、組織は崩壊するであろう。