無欲だった頃の僕の財布はお金が溜まっていく一方で、特に何かに満たされた生活をしているわけでもなく、ただひたすらに現実と乖離した未来を想い描くだけで満足していた。

それが一変したのは大学生になってから。
等身大の自分を受け入れることができず、お洒落に目覚めたというよりかは、恥を見せたくないという気持ちのほうが今になっては大きかった気がする。
とにかくひたすらに高いブランドの服を着るようになった。

もちろん溜まっていたお金なんてすぐに無くなるから、バイトをしたり、より良い服を着るために以前買った服をオークション(いまのフリマアプリのようなもの)に出したりして、なんとかやりくりしていた。

安くて良い服があっても自分が認めないようなブランドを身に付けるのは嫌で、そうでなければ身に付けないほうがマシだという、ブランド品を持つことでしか自分に自信を与えることができないどうしようもない人間だった。

これは大学生のときがピークでそれ以降はある程度落ち着いたが、ブランドに詳しくなった分、長く使うようなものはそれなりのブランドをわざと選んで購入することもあった。

社会人になってからは昔に購入したブランド品はどんどん売っていった。
身に付けるのが恥ずかしくなったし、ある程度等身大の自分を受け入れることができるようになってきたからだ。
アルマーニの時計なんかは気づいたら秒針が止まっていて、売値も買値よりずいぶんと安くなってしまっていた。

それからは、時計はずっと身に付けることはなかった。
残業続きの毎日で時間を気にすることを諦めていたのかもしれないし、過去に持っていた自分が認めるブランドじゃないと身に着けたくないという意志が残っていて、そのブランドを購入できるくらい自分が高みに到達するまで我慢していたからかもしれない。

しかしながらその来るべきときも来ず、時間に追われる毎日も変わらなかったが、最近になって時計が欲しくなってしまった。
年齢相応の装備が欲しくなったというかなんというか、深層心理ではいつも身に付けている姿を見ているからなんだろうか、同じ時計が欲しくなってしまった。

それからは世界の高級ブランドの時計ではなく、大切な人に貰ったお揃いの時計が僕にとって一番高価なものになった。

ああ、価値観を逆転させるのに10年もかかってしまったなあ。
このクロノスタシスが起きない時計こそが、僕の求めていた時計だった。

カテゴリー: Poem