ものごとを覚えるときには、最初から細かいことは覚える必要がなく、まずはその概要を掴み、ニュアンスを把握することが大切である。

ただし、その道のエキスパートになると一言一句間違わずに細かいことも覚える必要が生じることがある。

これには実務で時短になるというメリット以外にも、第三者にスキルを見定められる機会があった場合、そのような細かいことが必要になった経験があることを示すことができるという利点がある。

正確にいうのであれば、先に細かいことを一生懸命に覚えてそれを生かすというよりも、必要なシーンに直面しそれを何度も経験するうちに勝手に覚えてしまうという方が正しい。

覚えるという行動が先行するのではなく、実務が先行するのである。

この任意の分野の細かいことを覚えていることに対する第三者の反応は、4つのパターンが考えられる。

  1. よくわからないが、どうでもいいと思っている
  2. よくわからないが、単純に覚えていることに対してすごいと思っている
  3. 内容について理解しているが、細かいことを覚えていても意味がないと思っている
  4. 内容について理解しており、覚えていることに対して経験値がありすごいと思っている

これら4つのパターンは、それぞれ学習曲線と相関関係があるように感じる。

時間をかければ時間をかけるほど、自分の足場がはっきりとして見え、ものごとの解像度が高まる。
そして、その道が永遠に続くことを理解したときにこそ、自分の思考の狭さを感じるとともに自分の理解を超えたものごとを許容することができるのである。

学習には段階があり、それぞれ見えているコンテキストが違う。
その段階によって必要な知識も違うのだ。

「あんまり使うことがないようなこともがんばって覚えている」「時間もったいない」などと嘲り笑うような人間は、まだ壁の向こう側にいるのである。

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