興味のままに動ける人、好きなものの情熱が深い人、やりたいと思うことが明確にある人…
学生時代にそれらのスキルがあり、かつ五教科の勉強がその対象ではない人は、学生という環境での勉学という社会性において非社会的となる。
しかし、そのような人がいずれ自分の学びの深度を深めていったとき、すべてのものごとは繋がっていることを知る。
そのときには再び学校の勉強に励むのである。
逆に社会的な人は、苦手なことにも我慢強く取り組めるが、対象のものごとに情熱がない場合、好きでない場合、やろうとしても別のことに気を取られる程度のモチベーションしか持てない場合、非社会的な人よりも対象のものごとについての時間を多く持つことができない。
好きこそものの上手なれ。
自分の情熱の程度を理解し、さまざまな選択肢があることを認識し、情熱を掛けるべきタイミングを考慮して、適切な場面に時間を使う。
倫理の道を見失わなければ、非社会的な情熱だったとしても、いずれそれが社会となる。
好きなものの情熱がすべての深度を深くするのだ。