たとえばアイスを買いに行くのに、一度に冷蔵庫に入るいっぱいのアイスを買うことで、アイスを買いに行く回数を減らすことができ、その結果アイスを買いに行くための時間を減らすという観点で効率化ができる。
逆にアイスを買いに行くのに、毎回ひとつしか買わない場合、非効率ということになる。

ただ、アイスを買いに行くこと=歩く必要がある場合、その歩くという行為が日常ではない人にとっては、歩く行為をアイスを買いに行くたびに継続して行うことができる貴重な機会であり、歩くことは一般的には健康に良いと言われているため、この観点では効率的ではないことになる。

アイスを買いに行くという行為がなんらかのルーティーンになっていたり、行動のきっかけになっている場合には、習慣的にアイスを買いに行くことは効率的となる。

また別の観点ではアイス自体が健康を損ねるものと仮定すれば、アイスを大量に買うことで自宅のアイスの誘惑が増える。結果いつもよりアイスを多く食べてしまうことは経済や健康の観点ではマイナスとなってしまう。

このようにさまざまな視点で効率という言葉の意味が変わっていまう。
だから、ある人の行為が非効率に思えても、その人にとっては効率的であることもある。

その人が大切に思っていることが、自分にとっては大切でないと感じる場合、視点が違うということを意識するといい。
その人が大切に思っていることが、自分にとっても大切だと思うことができる場合、その人と同じ視点でモノをみることができるスタート地点に立ったということだ。

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