社会人にとって、興味のないものを勉強することは日常茶飯事だ。
学歴がない人でも優秀な人はたくさんいる。
ただ、それらの人は必ずなにかの「オタク」である。

東大生よりも虫に詳しい高卒の「オタク」、
常識はないのにやたらと機械に詳しい「オタク」、
あらゆることを先に動く好奇心の「オタク」もいる。

人間なんて最初から興味のあるものなんてない。
強化学習や日常生活から徐々に興味が湧いてきたものばかりである。

だから「オタク」になれる才能はなによりも重要だ。
要領が良い、記憶力がいい、勉強しなくてもいい点が取れる、なんてものは人生という長い道のりにとって数時間走っていれば追いつく程度の小さいアドバンテージである。

高学歴と呼ばれる人は、誰もが興味のない「勉強」というものをひたすら頑張ってきた人たちのための称号だ。
そうした称号を持つ人は、客観的に見ても全般的な学習意欲が高いと言われる。

もちろん学歴がすべてではなく、先のように学歴を遥かに凌駕するようなオタクもなかにはいるし、学習意欲を発揮する興味の幅も個人差がある。

しかしそれを狭めているバカの壁(無関心の壁)を自然と立ててしまうような「非オタク」ほど、会社で役に立たない人はいない。

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