会社が3月からリモートワークになって半年以上が経過し、その所感を今更ながらに綴ろうと思ふ。だいぶ走り書きのため文脈がおかしいところはご愛敬。
リモートワークのルール設定
現在のリモートワークにはおおざっぱに下記のルールがある。
- 常にZOOMで映像と音声を流しっぱなし
- ただし電話対応中や外出中、休憩中の場合は映像と音声を切る
- パソコンやiPadなどは会社支給(諸事情があって僕は個人のものを使っているが)
- インターネット回線は個人契約だが、電気代などの在宅手当てとして月に数千円支給される
1と2については会社によって違うところがあるだろう。
このルールは当初はなかったのだが、他人とコミュニケーションをとる場合はLINEなどの通話ツールを使用していた際に、いちいち通話することに対してアプリを立ち上げるのがめんどくさい、社内と仕事環境を同じようにしたい(タイピング音などは会社で働いていても聞こえるため変わりないというのも理由)、という意図がありこのルールが制定された。
※ 意図だけ見ると明らかにリモートワークの環境は会社の環境よりも劣っていることを示しているが、リモートワークのほうがいいという人が多数いることは意識の闇に葬り去っておこう
このルールはリモートと社内をほぼ同じ環境にするための肝だと思っているのだが、現在このルールはやや風化してきている。
電話の持っていない人が「なぜか」音声を切っていたり、みんななかなか全員が通話できる状態が揃わなかったりで、現在はなかなか意味を見出すことができない要改善点であり、曖昧にしてはいけないルールであると感じる。
音声を切っている人は、音声を切る→つけるの作業が電話をかける作業と同じでありワンテンポ遅れるということを音声をつけている人の目線で理解して欲しいものである。結局は真面目に働いている人が損をする世界を生み出している。
リモートのほうが余計な時間を使っているというようでは、完全にマイナス。
同居人との会話、勤務時間になるべく家のことはしないように(配達など)するなど心構えは当たり前に持っておくべきであるが、それもできない人が集う会社であることが問題である。どうにかルールでしばれたらいいのだが。
そもそも在宅と社内環境だと社内のほうが明らかに整っているのに対して、在宅でそういったルールが曖昧になりプライベートな時間を確保できるような環境となることで一部の人間の仕事が緩くなるという理解が経営者には必要であると感じてしまう(全然僕は経営者ではないのだが)。
まあリモートだから声かけを意識的にするかっていうような正常な人間が多数いれば、このようなルール制定も必要ないのだが。
リモートワークに適正な人と、適正でない人がいる
リモートワークとなることで、在宅ワーカーへと転身することになると思うのだが、自分だけ(あるいは自分に近しい人のみ)の環境で自制心を持って作業を行えるかどうかという点で適正な人と適正でない人が出てくる。
まあ適正な人というのは自制心が強い人なので、ほとんどの場合、どのような環境でも適応することができるといえるのだが、会社や学生だと図書室のような不特定多数の人がいないと作業が捗らないようなスクラッチヒッターは淘汰されることになる。
出不精はバグりやすくなる
リモートワークによって対面で話す機会が少なくなり、テレビ電話だと五感から感情を読み取り辛い。そのため出不精だと対面コミュニケーション能力が低下する傾向にあると感じる。
また最近はAmazonやUberなどの出前・宅配サービスが充実していることから、家を出なくても生活環境が整ってしまうためITリテラシーがある方々はさぞ豊かな生活を送っていることだろう。
またそうした場合必ず運動量が減り体重の増加が見込まれる。
いままで通勤することで健康を保っていた輩は自発的な運動が求められるだろう。
最近とあるニュースでコロナ渦で大人しかったひとが怒りっぽくなったりなど性格が急に変わる人が出てきたとあったが、そういった生活の変化が要因であることは直感的に理解できそうだ。
プライベートと仕事の切り替え
環境によって自然とモードの切り替えを行うことができる人は多数いると思うが、職場とプライベートの空間が同一となったことで切り替えが難しくなった。
非同期コミュニケーションの大切さ
電話など相手の時間を奪うものではなく、ドキュメントを書いたり、チャットをしたり、テキストを書いて非同期でコミュニケーションを行う力が重要になるシーンが多く、レスポンスの仕方含めてチャット上手になる必要があった。
結論:マジ、自制心
優秀な人とそれ以外が淘汰されると多数の記事で言及されているがその通りだと思う。
仕事だけでなく、健康的な側面の自制心を持っているかどうかを判断することがリモート環境における人事採用に重要なポイントになってくる。
また会社としては十分自制心がある集団だとより気持ち的に余裕が出てくるワークスタイルとなるが、そのような集団出ない場合はできる限り自制させるようなルールを組むべきだと感じる。