いつでも流行は若者がつくるというが、ルッキズムと呼ばれるルックス至上主義の風潮はまさにそれを示していると思う。
男女問わず美容整形が海外のみならず国内でも当たり前となってきている世の中、ルックスは確かにその人や物事を決定にするにあたって重要な要素だが、あまりにもルックスをすべての中心に置くがあまり、重要なことを蔑ろにしている傾向がある、いやそもそもルックスの本質を理解していない人が増えているように感じる。
経済産業省がデザイン経営宣言を行なったのは記憶に新しい。これはデザインをブランド力やイノベーション力の向上、ひいては企業競争力の向上に活用するというデザインの本質そのものを推進する施策であり、デザインを「表層を整える仕事」として捉えている世の中を意識を変えるものである。
ルッキズムはこと人の外見だけを取れば「顔が良ければ性格も良くなる」という定義をしき、それを強く信仰した個人主観による極端な結果史上主義であり、外見を評価する指標が人により大きく異なるため、論理的な解釈が難しい理論であるが、デザインに当てはめるのであれば、見た目がよければそのコンテンツもすばらしいものという理論になるといえるだろう。
この場合の見た目というのは論理的な意味と切り離された評価単位であり、知覚を刺激するものだけと捉えられる。
たしかに自然界を見てみれば、(もちろん例外も多くあるが)刺激的は見た目のものは毒を持っていることを示していることがある。
この事象のみを切り取れば、ルッキズムというのは動物の本能的な感性に従ってその本質を見抜くことであるといえ、人間的な感性である感情や論理の理解を行おうとしない非常にもったいない行為であると考える。
デザインでも同様に、見た目のデザインを得意とする人は単純に知覚のみで感じる本能をかぎ取る優れた嗅覚がある。
UI・UXを得意とする人は、人間独自の感受性が高く、つまりは自己分析が得意な傾向があるように感じる。
デザイン経営は人間としての感受性をかたちにして、見た目を整えるプロセスを示しているといえるだろう。
つまり、内部(ブランド・イノベーション・性格・内面)から入り、外部(見た目・ビジュアル・顔)に昇華する行為である。
ルッキズムは外部のみを判断して内部もそうであろうと推測する手段である。
デザイン経営の視点で優れた目を持つ人は、そのデザインを見ただけで内部と外部両方へのアプローチが完成していると理解するが、見た目しか判断できない人は内部もおそらく素晴らしいという推測でものごとを理解している。
インプットとアウトプットが同じなため同一視されやすいが、この理解の差こそがデザイナーにとって致命的であり、ルッキズムという風潮をもたらした所以であると考える。