会社で業務委託(パートナー)の募集を行なっている。
相応の実務経験がなければ採用を見送っており、20人に1人以上は望むレベルに達していない状況である。
ただ、そのなかには講師として活動する人も中にはおり、DXがなんだと叫ばれているが、このくらいのレベルで人に教えているこの日本の技術基盤は非常事態だと感じる。

教えている人と仕事をしている人の大きな違いは、実務経験であるが、こうした経験のなかで僕が思っているのは、「本当の業務」から逃げた人が教える側に回っているという事情が多少なりともあるように感じる(もちろんそうでない人もいるが)。

「本当の業務」は嫌なことをしなくてはいけないし、技術的向上心を持たなくてはいけない。

「嫌なこと」は具体的には自分勝手にコーディングして、デザインの再現度も自分基準でっていうのは業務ではあり得ない。

また「技術的向上心」とは、技術の進化についていき、より深く学ぶことである。より深く学ぶことでどんどん足りない知識があることに気づき、深遠なるエンジニアリングの世界に足を運ぶことになる。

そのような厳しい実情から逃げ、表面だけをすくいとって人に教えているような人間が今更実務に戻ったところで、ある程度の年齢も重ねているだろうに、通常の実務に耐えることができるのだろうか、という先入観が僕の中に存在している。

例えば日本語を教える講師が「教える」という言葉を読めず、「おしえる」としか書けない、漢字という存在を知らないような人を見て僕たちはどう思うだろうか。

世界はどんどん便利化というなの簡略化が加速している。
YouTubeに乱立する「○分でわかる(自己啓発本)」がそれを顕著に示している。それはたしかにわかりやすい。

だが、自分の考えを持つ余地を与えず(自分で考える余地がなければ、それは記憶の定着にもつながらない)、一本の理論をそのまま鵜呑みにすることしかできないその構成は、思考の自由を奪うし、文章を楽しむことさえできない。

結論を見出す解決力や探究心がなければ、人は成長できないし、そんな力がない人が簡単に講師というおしえる立場になりやすい(おしえる力はそのような力が必要ないから)場合、もはや技術という言葉は知識だけのものになるであろう。

カテゴリー: Poem