デザインの隠れた性質のひとつに、「ひとつを可能にすることで、ひとつを不可能にする」ということが挙げられる。
例えば、Webにおいては、ページスピードが絶対的な評価であるが、ページスピードを向上させることで、「Webサイトが読み込まれるのを長時間待つ」という行為ができなくなってしまう。
即応性のあるWebサイトを手に入れた代わりに、忍耐と待つことの豊かさ(どのようにWebサイトは動いているんだろうと考える機会)を失ってしまう。
それは「完全な傑物という者は存在せず、なぜなら不完全性・成長という要素が完全とは相反するもので決して混同することができない」という理解に近しい、逆説との戦いである。
またこの逆説は、デザインのプロセスにおいても発生する。
例えばユーザーファーストでデザインされたものは、所詮ユーザーが作成したものではなく、デザイナーが作成したものであるから、本質的にはユーザーファーストではなく、デザイナーファーストになってしまう。
ただそのあくまでデザイナーファーストのデザインでもユーザーのヒアリングをしなければ、いいデザインは生まれない。
なら僕たちはどうやってその逆説に向かえばいいのか。
2つの考えがある。
ひとつは、「これをデザインすることで、何を失うのか」ということを意識しながらデザインするということ。
これによって、求められているデザインの要件を満たすことができるのはどちらかを考慮することができ、ひとつのデザインの指針にできる。
もうひとつの考えとして、僕たちは自分の声には気づくことができる。
先ほどのプロセスの例でいえば、自分が自分のためにデザインしたら、それは自分ファーストのデザインとなり、目的を達成することができる。
つまり、「自分がどのようにデザインしたいか、そのデザインでどういう世界を作りたいのか」ということは、確実なものであって、逆説にはならない。
主体性を持ち、自己満足の範疇であることを理解したうえで「仮のユーザーファースト」を意識し、信念を持ったデザインをする行為は、常に正しいといえる。
そういった行為は自分の主観だとデザインではなく、アートといえる。
デザインとアートの境目を見事に切り分ける人がいるが、それはこの逆説の渦中においては存在しないものである。
この記事は、以下の記事にインスパイアされて書きました。