完全教祖マニュアルをデザインに活かすために書いた雑記。


宗教は、基本的には社会という常識を覆す、反社会的な考えを一般化するために生まれる。
日本人は社会性を持たない宗教を嫌う傾向にあるが、これは大日本帝国憲法にあった社会を混乱させないのであれば自由に進行してもいいという観念から。
現在も残っているキリスト教や仏教は自分たちが提唱した当時の新しい価値基準で、これまでの社会の価値基準を塗り替えたからこそ現在も残っている。

宗教は「神」という絶対的なコンセプトのもとに、いくつかの前提条件からなる高度な哲学を装備することでロジックを生み出す。
この前提条件が大切で、この足場さえユーザーに納得させることができればあとはいくらでも応用し、論理的な解釈を行えるようになる。

外部の人が宗教を理解できないのは、この前提条件を認識していないからである。
もし新規の囲い込むのであればこの前提条件をわかりやすくアピールし、もし熱心なファンを増やすのであればこの前提条件にも深度が必要である。

つまり、新教宗教をつくるうえでは反社会的な考え(社会への問題提起・課題解決)とこの前提条件をつくることが最も大切であるといえる。
前提条件からなる高度な哲学は外注してもいい。枠組みさえしっかりしていれば、なんとかなるのである。

枠組みができれば、大衆に受け入れられユーザーを獲得できるよう一般生活に馴染まなければならない。
宗教だと具体的にはお葬式などの生活で必要となるシーンを創造する。
またユーザーを獲得できるようにするためには、なにかユーザーの利益になるような要素がなければならない。宗教で言い換えると現世利益というものである。
そして偶像崇拝のようにユーザーがとっつきやすくするためには、ロゴデザインやビジュアルデザインなど具体的なイメージを用意することでブランディングの準備ができるようになる。
ビジュアルだけでなく、何か特徴的な行為をして、ブランドの認知をあげるのもよいアプローチとなることもある。

一般化したら次に必要なのはユーザーの囲い込みである。
世界のあらゆる事象を説明できるようにするのは現状では不可能であるが、なかには自分が理解できない事象を恐怖の対象として見てしまう人がいる。
そういったものに対して宗教によって説明を加えることで自分が理解できる幅を広げ不安を解消することができる。
こういった不安解決のアプローチを行うためには不安誘導するような宣伝が効果的となる。
先の例の場合、不安を感じない人にも不安誘導し、不安を与えることでさらに顧客を拡大することができるようになる。

また囲い込んだユーザーに対しては、脱退することによるリスクを用意する必要がある。ベンダーロックインである。
定期的なイベント開催によるコミュニティ化もひとつのアプローチである。

本書で書かれていてデザインに応用できなさそうだと思ったところは、予定説による自発的意志の否定や、食物規制など特殊ルール採用によるグループ内外の温度差の創出、疑似科学によるブランディングといったところであった。